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思い出の外国人選手達【前編】

えーと....ネタもないので、管理人の年々酷くなる記憶力の補助としての記事。

トリニータで活躍(一部活躍していない選手もいますが)した外国人籍選手の前編。後編とあと韓国人籍と続けます。


アウグスト(ルイス・アウグスト・オゾリオ・ハモン)
2007年は期待したんだけど恥骨炎で帰国。トリニータでは15試合5得点。

アンドラジーニャ(エジ・カルロス・ディアス・マルサウ)
2000年、ガンバ大阪でフィットせずレンタル移籍。2002年のJ2では結構無双してた記憶。トリニータでは74試合37得点。

ウィル(ウィル・ロブソン・エミリオ・アンドラデ)
俺王ことウィル。これぞ本物のエースストライカーだったと思う。守備はしねぇし、気性は荒いし(味方選手蹴っちゃうし(大分の時じゃないけど))。トリニータでは111試合50得点。


ウェズレイ(ウェズレイ・ハイムンド・ペレイラ・ダ・シルヴァ)
大分ではあまり渾名の「ピチブー」ぶりは見せなかったし、密かにスポパに訪れるスクールのお母さん方には評判が良かったウェズレイ。ウェズレイは、子供達を見守るお母さん方にニタニタ笑いながら必ず「オハヨウゴジャイマス」と挨拶していたらしい(笑)。
ベテランらしいサッカーを知り抜いたプレーは本当に勉強になった。ウェズレイがいなかったら2008年の躍進はなかったと思う。
56試合15得点。

あっ....間違えた、これは吉坂GKコーチ



次期県知事(エジミウソン・アウベス)
俺らのエジ。
フィールドを縦横無尽で神出鬼没。大分愛に溢れサポから絶大な支持を受けた。経営難からトリニータ→ヴィッセル→ロアッソと移籍したが、移籍後のホベルトが大分との試合で盛大にチャントで迎えられた(ホベルトは退団の挨拶等できなかった事情もあるので)と、ホベルトから聞き....「ホベルトでそんなんやったら、俺...もっと凄いに違いない!」と勝手に確信し、一人ワクテカしていたと聞く。
昔、まだ大分でトリニータ応援番組「WinningGoal」があった頃にチャレンジしていた寿司屋修行は誰か録画持ってませんかね。もう一度見たい。
そして、きっと高松を愛していた。
149試合14得点。


エドウィン・イファニー
1999年に1年プレー。トリニータもカメルーン人プレイヤーいたんだ.....。18試合1得点。

オズマール(オズマール・アパレシード・デ・アゼベード)
良い選手だったと思うんだけど、ブラジル人らしくなく決定力に欠けたイメージ。2006年に在籍、17試合4得点。

クビツァ(アンジェイ・クビツァ)
2001年途中帰国。12試合6得点。あんまり記憶にない。

サンドロ(サンドロ・チャベス・デ・アシス・ロサ)
2002~2004年。98試合7得点。守備の安定には貢献していた。一時期日本帰化の噂があったけどどうなったんだろうなぁ。

ジュニオール・マラニョン(フランシスコ・ペレイラ・ダ・コスタ・ジュニオール)
2007年、シャムスカの肝入りと聞いていたがさっぱりだったボランチ。シーズン途中帰国。このマラニョンのせいでミヤザーの評判がイマイチになった(2007年当時)と思っている。17試合0得点。

スターレンス(ロレンツォ・スターレンス)
ベルギー代表と鳴りモノ入りだったはずだが、正直記憶にあんまり残っていない。26試合2得点。

セルジーニョ(エリセルジオ・ダ・シルバ)
マラニョンと同じ2007年序盤失速の立役者。シーズン途中帰国、11試合1得点。

シジクレイ(シジクレイ・デ・ソウザ)
指示出すDFなのに「指示くれい」とは何事と思った(嘘)
日本で長く(13年も)プレーしたので他のチームの方も良くご存知かと。40試合7得点。


トゥーリオ(トゥーリオ・ルストーザ・セイシャス・ピネイロス)
第2期エジの相方ボランチ(ちなみにエジは1~3期まである)。この時の役割分担はトゥーリオ攻撃エジ守備のイメージだった。
50試合3得点。

ドド(リカルド・ルーカス)
2005年に在籍。15試合3得点。

ノグチピント・エリキソン
2001,2003と在籍したけど公式戦出場していない。2003年にタイブラジル国籍から日本に帰化した。

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『トリサポの皮をかぶったFC東京SOCIO』もしくは『SOCIOを騙るトリサポ』 前俊だけは諦めない! 座右の銘は「棚からぼた餅」 好きな草花は「ムラサキツユクサ」 合言葉は「お気楽極楽」

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