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空飛ぶ兵馬俑は瞳の奥に【阪田章裕現役引退】

  この季節になると、好きだった選手が移籍したり引退したり...思わずしんみりする事が多くなるので、あまり好きな季節ではない。


 僕はどちらかというと、選手よりトリニータの箱推しなので、過度に選手に思いをのせないように普段からしている。だってその選手が、移籍したり、引退したら辛いじゃん。

 そんな心の予防線を張っている僕でも、他の選手より少し思い入れの強い選手がいた。前俊、コバヒロw、ミヤザーなんかがそうである。そしてその中でも一番思い入れの強かった選手が阪田さんこと阪田章裕だ。その阪田さんの今年現役引退の発表があった。



 阪田章裕が現役引退を発表「DFながらレッドカードを1枚も貰わなかったことが1番の自慢」亡き友への思いも吐露(yahoo)


 阪田さんのチーム歴はwikiから参照すると以下の通り


2007年 - 2009年 セレッソ大阪

2009年 湘南ベルマーレ (期限付き移籍)

2010年 湘南ベルマーレ

2011年 - 2015年 大分トリニータ

2016年 - 2017年 AC長野パルセイロ

2018年 - 2020年 福島ユナイテッドFC

2021年5月 - 12月 鈴鹿ポイントゲッターズ


たしか2022年は東海社会人リーグのFC.Bomboneraに所属していたはず。


 このブログ「生温かい眼」で阪田さんは随分と取り扱ったんだけど、代表的な奴がこちら


 楽しかったよ報告【更新中断期の管理人(ちと長め)】(2012年9月)


 昨日はJリーグの20周年だったけど…『生温かい眼』特別企画(2013年5月)


 メンズデーできっと躍動してくれる筈【プレビュー:J2第9節:vsカターレ富山】(2014年4月)


 阪田マニアが書く長野サポ向け阪田さん説明書(2016年1月)


 思えば色んな記憶が蘇ってくる。

 2012年の昇格プレーオフ決勝....試合経過とフォーメーションの都合とはいえ、一時期阪田さんの1バックの時があったこと。

 DFとして外国人FWと対峙するのを好む為「外国人駆逐隊隊長」の称号を得たこと。

 その類稀なる跳躍力で鳥人と呼ばれていたこと....

 いかつい顔立ちには似合わず、実はもの凄く真面目で東北大震災の後、現地の子を支援する「Footballers for Fukushima」を自ら企画立案し、現地の子供たちを元気付けていたこと

 あと2016年....J3で闘う僕らは29節のホームで勝利し、首位を走っていた栃木SCに勝点で並び首位に立った。その前節、僕はFC東京U-23vsAC長野パルセイロの試合をAC長野パルセイロを応援しに参戦し(多分駒澤だったかなぁ)、試合後阪田さんと夛田くんの選手待ちをして「次節(29節に栃木SCとの対戦だった)は絶対栃木SCを倒してくれ!」ってお願いに二つ返事で答えてくれた。(実際決勝点は夛田くんだった筈)


 背番号13(高松)は背番号12(サポ)の隣で【J3第29節:vsYSCC横浜】(2016年11月)(記事の最後)


 阪田さん、16年(?)の現役生活本当にお疲れ様でした。


 僕の部屋にはまだトリニータ時代の阪田さんのポスターが貼ってあります。多分後援会か何かでパウチしてくれてた奴...いつか阪田さんが所属するチームを応援に行って、そのポスターにサインを入れてもらうのを計画していましたが、機会がないまま現在に至ってしまいました。

 

 本当に本当に長い選手生活、お疲れ様でした。

 阪田さんは、とても素敵で、僕が大好きな選手でした。
 その雄姿は僕の瞳の奥でいまも輝いています。





 追記:基本自分のチームの選手は呼び捨て表記が基本な「生温かい眼」ですが、なぜゆえに阪田さんだけ「さん」付けだったのか....それは昔、阪田さんが弊ブログ「生温かい眼」を読んでて、兵馬俑呼びを笑ってたと、某ひなつ叔父貴に聞いて以来、弊ブログは阪田「さん」表記になったのである...。

阪田章裕 4870795072150878339

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