諦め
どうも...幼少の砌『男喋り(男のくせに喋り好き)』と称され、決して寡黙な男にはなれないと諦めた管理人こと鳥脳です。
成長しきった現在の、至極詰まんない事を延々と後輩に喋り続けているのではありますが、いざプライベートになると、男の一人暮らしの哀しさで、休みの日なんか、「68番のたばこお願いします」「支払いはEdyでお願いします」くらいしか喋らないことがザラです。
一人暮らしの寂しさは辛いので、話相手が欲しいなぁ....深田恭子で構わんから。
さて、各チーム新体制の発表なんかがぼちぼちと入ってきています。甲府なんか、三平の事を「Jリーグ1面白い男」って紹介してましたね。うちの子だった選手はどこに行っても気になります。
富山が11ゴールの藤枝FW吉平翼を獲得 「大きな目標に向かって直向きに努力」(超WORLDサッカー!)
【長野】群馬から宮阪政樹が完全移籍で加入「勝利と昇格へできることを精一杯やりたい」(サッカーマガジン)
きりがなくなるので、2件だけ。
翼はカターレ富山の監督に就任した石﨑信弘(元藤枝監督)の要望なんでしょうか。指揮官に必要とされる駒になるってのは大切な事なんで頑張ってほしいもの。翼はどこかで大きく成長するんじゃないかと思っている。
町田とタメには絶対見えないバズこと宮阪。FC東京ユース出身だし、あの既製品が絶対に合わないであろう下半身の充実さ具合が大好きだった。J3では彼のFKは結構無双くらすな気がする。
さてさて、新体制発表もぼちぼち...と書いたのですが、我が軍ことトリニータの新体制も新ユニフォームも始動もなんも発表されとりません。幾分、体制にまだ空きがあるような気がするのは思い違いでしょうか。まだ新体制が発表できないのは、その隠し玉的補強がまとまっていない性だと思いたい。
きっとメッシが、日々の戦いにつかれて、温泉で湯治したいのをまだバルセロナの首脳陣が引き留めているせいだと思いたい。
メッシといえば、2005~2007のシーズン、前俊に憧れて背番号「19」を付けていたのは有名な話(嘘)で「バルサの前俊」と呼ばれていましたが(嘘)、その前俊も引退してしまいました。
FW前田俊介が34歳で現役引退、沖縄SVのコーチ就任(超WORLDサッカー!)
僕は「前俊を諦めない」教の信者だったわけです。
前俊を初めて見た時「あぁ、日本にもこんなファンタジスタが産まれるようになったんだ...」と思ったのを覚えています。
前俊がトリニータに在籍したのは2007年~2011年のシーズン(2010年FC東京に一時在籍)、その中でも一際記憶に残っているのがアッチョンブリケと2011年の10月に行われたJ2第7節。国立で行われたFC東京戦。
「前田はサボっているわけではありません」【J2第7節:鳥脳ダービー 大分トリニータvsFC東京】(生温かい眼過去ログ)
当時、J2に堕ちていたFC東京。確か連続無失点の記録がかかっていた試合で、その記録を前半ロスタイムの前俊弾で無失点記録を更新させなかった。
いまだに、背中で、あの森重に一瞬体重をかけたあとの空間の使い方は記憶に残ってる。後半ロスタイムにはハセヒロの劇的勝ち越し弾とあいまってすごく記憶に残っている。
サッカーの器用さとは違い、人生の生き方は決して器用とは思えない選手人生だったと思う。お疲れ様でした。
そろそろ、僕も前俊を諦める時期がき....
いや、諦めない。沖縄SVのコーチに就任する前俊が、きっと第2第3の前俊を育て、新たな日本代表の中核となる選手が産まれてくる筈だ。
そう、僕は前俊を諦めたりしない。