鳥脳の成分表【雑記】
ダウンタウンの松本人志にによると、面白いやつの条件として「ネクラ・貧乏・女好き」らしい。どうも「ネクラ・貧乏・女好き」なのに面白くない管理人こと鳥脳です。
理由についてはwikiをそのまま引用
ネクラについて、「面白い奴というのは自分ひとりの世界を持っており、実はネクラな奴が多い。(中略)面白い奴というのはどこか冷めている奴なのだ」、「貧乏」は、松本自身が貧乏な家庭で育ったため、おもちゃを買ってもらった記憶がないことを挙げ、「遊び道具のない子供は、自分でそれを作ろうとする。結局、想像力が豊かになり、頭を使って遊ぼうとする」、「女好き」については、女好きの奴は口がうまく、しゃべりが達者。女を落とすためにかなりのユーモアとサギ的な要素が必要になってくる、とそれぞれ述べている。
これは結構同意する部分があり、特に「女好き」に関してその通りだと思ってて、経験的に僕も齢を重ねてだんだんと枯れてくると同時に、面白い事をいう能力が落ちてきた気がする。
さてここからは自慢話なので聞きたくない人は読み飛ばし推奨。
実は....鳥脳は賢かった。いや神童・天才だったと言っていい(全部過去形なのは今は気にしない)。
ここで天才だった過去を箇条書きで上げると....
・幼稚園にあがる前後で「○時○分前」って表現で時間を表現してた。
・幼稚園で漢字が結構読めた。字は新聞で覚えた。
・5歳年上の姉と同じ本を読み、読むスピードは姉より早かった。
・幼稚園でポプラ社の少年探偵団シリーズのほぼ全巻を読了。
・小学校にあがると家庭訪問でもないのに先生が家にきて「この子は将来科学者にならしてあげてください!」と熱弁。
字が読めるという事は、本が読めるという事で。裕福ではなかった家だけど、本だけは1冊読み終えると、次の1冊を買ってくれるという謎システムが我が家にはあった為、本を読む事が苦にならない人間が出来上がった。
読書ってのは、学問の基盤だと思ってて、日本語をちゃんと理解し、事象を想像できて、物事の筋道を表現できるのは、国語だけでなく数学でも英語でも必要な事なんだと思ってる。
ほんと『読書』大事。
このまま育てばアラン・ケイ(パーソナルコンピュータって概念をマイコンの時代から提唱してた人)やスティーブ・ウォズニアックやスティーブ・ジョブズみたいな人になってた筈なのに、現時点でトリサポブログをのほほんと書いているただのおっさんなのには幾つかの理由がある。
事件1
小学校5年の時である。文庫本なる書籍に手を出し始めてしまった。
しかも...筒井康隆。たしか「にぎやかな未来」だったと思う。通常の小学生なら星新一のショートショートくらいに嵌ればよかったものを、よりによって筒井康隆...管理人は今でも荒唐無稽な戯言を白日夢みたいにいう事があるのだけれど、きっとあれがきっかけだったに違いない。(このニュアンスは微妙に伝わらないだろうなぁ。筒井康隆ってパロディやスラップスティックな笑いを得意とし、初期にはナンセンス文学なSF作品を多数発表。1970年代よりメタフィクションの手法を用いた前衛的な作品が増え、エンターテインメントや純文学といった境界を越える実験作を多数発表している人。)
事件2
小学2年か3年の時。友達の家に遊びに行って自転車で自宅に帰る際にその事件は起こった。自転車を漕いでいる時に疑問が生じたのだ。
「このまま目を瞑って自転車を漕いだらどれくらい進めるのか?」
人って「?」と疑問に思う事は大事である。この「?」が「何でそうなっているのか」が判った瞬間に「!」に変わり脳内でエンドルフィンが出で快感に変わるのである。「?」&「!」これ大事。
まぁ今思えばアホな疑問である。普通の秀才ならここで終わっている。しかしその当時超天才だった鳥脳は、答えを探求する為に即実行してしまうのであった。そら最初は怖いので、ちょっとだけ目を瞑ってすぐに開けるを繰り返したのだけれど、人間怖いものである「慣れ」というのが存在するのだ。慣れてきた鳥脳少年は、目を瞑って1漕き2漕き....その瞬間身体ごと前に投げ出される感覚。そして顔面を襲う猛烈な痛み。そう、鳥脳少年は電信柱に真正面から衝突し、電信柱とディープキスするという事態に。あの時に頭のネジが2,3個外れてしまったと僕は見ている。
これらの事件がなければ、きっと鳥脳はスティーブ・ジョブズのようにAppleのように企業し、今じゃ億万長者になって、トリニータのスポンサーになっていたかと思うと残念でならない。