引退
https://lovetrinita.blogspot.com/2018/11/blog-post_25.html
忙しいという字は、人を亡くすとかいて忙しい.....はい、人亡くしてます。ども管理人こと鳥脳です。今シーズンを振り返る前にちょっと....。
37歳の元日本代表DF高木和道が現役引退を発表「感謝しかありません」(サッカーキングbyYhoo!)
【清水】兵働が引退「人に恵まれ、支えられた最高の現役生活」(スポーツ報知byYahoo!)
“東京の10番”梶山陽平が振り返る15年間の現役生活…「33歳なんで長かったですかね?」(ゲキサカbyYaoo!)
大分トリニータに貢献してくれた多くの選手が、今年は現役引退を表明しました。
高木。
2013年の副主将、2014年の主将。
2013年はJ1からJ2への降格の年。J2の2014年は昇格プレーオフに絡めず。のせいなのか、あまり多くの人に好印象は残っていないかもしれない。言葉多く発するタイプでもないし、率先して声出してチームを引っ張るタイプでもなかった。
でも、チームを代表してメディアに発言していたり、その背中を多くの選手に見せていたと思う。
トリニータを去った後はFC岐阜、ジュビロ磐田、タイのチーム、MIOびわこ滋賀に所属した。本当にお疲れ様でした。
兵さん。
2015年の1年だけ所属。
この年はJ3へ降格した年。
人柄もあるんだろうけど、多くの個サポが兵さんに伴ってスポパへやってきた気がする。
大分を去った後は、水戸ホーリーホック、ヴァンフォーレ甲府、そして今年は清水エスパルスに所属して引退。お疲れ様でした。
そして梶山。
在りし日のFC東京が好きだった僕にとって、大分に来てくれるとは思わなかった選手。
東京のチャントで「東京~の10番は、おお梶山陽平」と謳われる、育成からの東京そだち。くねくねとしながらボールをキープし、予想外のプレーを選択する。本当に天才だと思った(前俊は超天才)。
大分にきた2013年。中盤で見せるボール保持はさすがJ1選手と思わせ、大分トリニータの誰よりも技術的に優れていると感じた。
....が、試合が終わった後、ロッカーを引き上げる時、アイシングで固め、脚をひきづりながら帰っていた記憶が異様に心に残っている。
東京の友人を大分で案内していた時、雨の中、長時間待ったんだけど「東京から来ました」の友人の一言で、むっちゃ笑顔になったのも記憶している。あんな笑顔の梶山みたことなかった。まぁいつものように顔の左半分でしか笑ってはなかったけど。
僕が怪我さえなければと思った選手の一人。本当にお疲れ様でした。
梶山、こんごどうすんだろ。
決して良い思い出ばかりではないけど、良い思い出でも、悪い思い出でも、引退としてメディアに取り上げられて、その瞬間を思い出してもらえるのは選手として幸せだった証だと思いたい。
多くの選手は、人知れず引退してしまうことだってあるんだから。
長い間、お疲れ様でした。
また新しい人生の門出を祝っております。
37歳の元日本代表DF高木和道が現役引退を発表「感謝しかありません」(サッカーキングbyYhoo!)
【清水】兵働が引退「人に恵まれ、支えられた最高の現役生活」(スポーツ報知byYahoo!)
“東京の10番”梶山陽平が振り返る15年間の現役生活…「33歳なんで長かったですかね?」(ゲキサカbyYaoo!)
大分トリニータに貢献してくれた多くの選手が、今年は現役引退を表明しました。
高木。
2013年の副主将、2014年の主将。
2013年はJ1からJ2への降格の年。J2の2014年は昇格プレーオフに絡めず。のせいなのか、あまり多くの人に好印象は残っていないかもしれない。言葉多く発するタイプでもないし、率先して声出してチームを引っ張るタイプでもなかった。
でも、チームを代表してメディアに発言していたり、その背中を多くの選手に見せていたと思う。
トリニータを去った後はFC岐阜、ジュビロ磐田、タイのチーム、MIOびわこ滋賀に所属した。本当にお疲れ様でした。
兵さん。
2015年の1年だけ所属。
この年はJ3へ降格した年。
人柄もあるんだろうけど、多くの個サポが兵さんに伴ってスポパへやってきた気がする。
大分を去った後は、水戸ホーリーホック、ヴァンフォーレ甲府、そして今年は清水エスパルスに所属して引退。お疲れ様でした。
そして梶山。
在りし日のFC東京が好きだった僕にとって、大分に来てくれるとは思わなかった選手。
東京のチャントで「東京~の10番は、おお梶山陽平」と謳われる、育成からの東京そだち。くねくねとしながらボールをキープし、予想外のプレーを選択する。本当に天才だと思った(前俊は超天才)。
大分にきた2013年。中盤で見せるボール保持はさすがJ1選手と思わせ、大分トリニータの誰よりも技術的に優れていると感じた。
....が、試合が終わった後、ロッカーを引き上げる時、アイシングで固め、脚をひきづりながら帰っていた記憶が異様に心に残っている。
東京の友人を大分で案内していた時、雨の中、長時間待ったんだけど「東京から来ました」の友人の一言で、むっちゃ笑顔になったのも記憶している。あんな笑顔の梶山みたことなかった。まぁいつものように顔の左半分でしか笑ってはなかったけど。
僕が怪我さえなければと思った選手の一人。本当にお疲れ様でした。
梶山、こんごどうすんだろ。
決して良い思い出ばかりではないけど、良い思い出でも、悪い思い出でも、引退としてメディアに取り上げられて、その瞬間を思い出してもらえるのは選手として幸せだった証だと思いたい。
多くの選手は、人知れず引退してしまうことだってあるんだから。
長い間、お疲れ様でした。
また新しい人生の門出を祝っております。